昭和56年3月15日 朝の御理解              御理解 第8節                       「子供の中に屑の子があれば、可愛いのが親の心ぢゃ、無信心者ほど可愛い、信心しておかげを受けて呉れよ。」         

 神様に喜んで頂くという事を皆申しますが、神様の一ばんいうならお嘆きである、無信心者のあまりにも多い事。それが神の嘆きといわれるのですから、折角御神縁を頂いて、神様に喜んで頂きたい。そして安心して頂きたいというような、願いを立てる信者がいなければ、信者がたとえば沢山おっても、神様のお心に応えるという事になりません。神様の一ばんのお嘆きはいわゆる信心の無い者、天地の道理も御恩徳も分からずに、云うなら忘恩の生活をしておる氏子をさして、無信心者ほど可愛いと仰せられるのでしょう。その神様の可愛いいと思し召す人達が一人一人助かっていく。
 そして忘恩の生活から、神恩報謝の生活に入らしてもらいその人達が、又神様の願いに応えまつる信心を頂いたら、それが神様のお喜びだと思うです。
 だから信心頂いとってもただ我情我欲を満たして頂く事、ただ特別の御都合おくり合わせを頂いたという事だけではない、そういう信心にお互いが目覚めさしてもらはなければいけないのです。
 今日の信徒大会がございますのは、そういう信心をしておっても、いわば目覚めていない者が本当に目覚めさして貰うて、そして世の中に殆どというてよい程の無信心者を信心に導き、そして生きる生甲斐を覚えさしてもらい、感じさせるようなおかげを頂かせてもらう。そういう御用に使うて頂きたいというような願いをこめて、私は今度の総会はあるんだと思うです。ただおかげを受ける、成る程おかげを受けます。
 昨日も福岡から参ってみえます御信者で、前の日にあのおしらせをやっぱ頂いておられたが、そのような御主人が交通事故に会われ、もう車は目茶目茶になりましたけれども、御主人は全然かすり傷もしとんというて、昨日お礼参拝がありました。真嶋という方です、
 これも福岡の方で電気商を営んでおられますが、ボール箱を沢山こう積み上げてあるそれに誰か煙草の火か何んかをなげたんでしょう、それからそのボール箱が燃え出して、もうあわやという寸前にまあボヤで消し止める事が出けたというて、お礼参拝がございました、福岡の浜田という電気商の方です。
 もし信心を頂いておれば確かにね、気がつかない所に又は大難を小難、小難を無難とおかげを受けられるという事は、まあ信心を頂いておれば皆が体験する事でございます。とりわけお取次を頂いてお願いをさせてもらう。だんだんおかげを頂いて信心が分からして頂くようになり、本当に自分が助かっていく、自分が本当におかげを受ける。そういう働きを自分の周辺にも広げていこうと、それを合楽では合楽示現活動に参画するというふうに申します。神様が一ばん喜んで下さる事は、今云う世の中に信心を知らない、本当の信心を知らない人達がいよいよ道の信心に導かれて助かっていくという事。
 だからそういうお導きをさしてもらう、いわゆる合楽示現活動に参画する。これは合楽理念が合楽で説かれるようになりまして頂いた一つの表現ですけれども、いわゆる今までのようにただお導きとはいわない。合楽示現活動に参画するという。勿論云うならば合楽世界への誘いである。今までおかげ頂いておりました助かったという世界は、どこまでもいうならば極楽世界、そこからもう一つ先にある、神様と氏子とが合楽し合える世界、そういう世界に導かせて頂く為には自分自身が神様と合楽出けれる信心内容というものを、身につけなければならない。特に自らの助かりがあり、その助かりを人にも伝えていこう。どうぞ示現活動に参画さして下さいという事になる。
 私はこの事を頂いた時に神様から、その合楽示現活動に参画するという意味を頂いたんですけれども、合楽という事は今も申しますように、神様と氏子がいよいよ仲良うする信心。交流し合えれる信心に、示現というのは示し現わすという、書いてありますから、ただ示し現わすという事だけだと思うておった字のとおり。所があの字引きをもって分からして頂くとね、示現という事は、神仏が特別の働き、いわゆる奇跡を現わすとかね、いえなら特別の働きを現わす事を示現というんだそうですね。ただ示し現わすだけじぁない。そこにはね私共はそういう参画さして下さい、そういう運動に参画さして下さい。と願う所に神様の特別な働きが起こってくるという意味なんです。
 そこには人間の力ではない。神仏の力字引きにはそうある。神仏が不思議な働きを示し現わす事を示現というのだと、だからどうしてもただのお導きというのではなくて、合楽示現という事にならなければならない。示現活動。そういう働きに私共が参画さしてもらう、という事は、参加させて下さいという事だそうです。ただ今日のなら信徒大会に参加したというのではなくて、一人一人がそういう運動に、私もどうぞ入らせて下さいと願うという事だそうです。ただ参加した、参加するだけではない。参画というのは、どうぞ私もそういう運動に参加させて下さいという願いを、参画というんだという事を改めてそん字引きのから、引かせて頂いて成る程合楽示現活動に参画するという事は、そういう内容をもっているんだという事を分からして頂きました。
 皆さんが合楽に参るおかげを頂くいうならば、大難を小難、小難を無難のおかげも頂けれる事実を、だんだん体験の上で分からして頂いたら、合楽示現活動にどうでも参画さして下さい、という願いが持てれるような信心に、ならなければならんという事でございます。そこからいうならば神様のお喜びというのは、無信心者ほどと仰せれる、信心のない人達を信心に導かせて頂くという、一心発起をさせて頂くとそこには特別の神様が、不思議な不思議な働きを表わして下さる働きが、おこってくるというのでございます。
 昨日お礼に出て来た方がございましたが、中学何年生でしょうか、二年か三年生でしょう。或るちょっと心配事があった。それでその書き置きを書いて家出してしまった。そらもう一家中で家の中が真暗になるように思うて、そしてここにお願いにみえて、昨日どうかその手掛かりを願っておられるわけですが、そのまあ心当たりの所をお父さんが毎日探しに、そりが昨日奥さんがいつも二人で参ってくるのに一人で参って来てから、今日はおかげ頂きましたと今日お父さんが帰って来てから、もうくうっとしとるとが、快いとなったごたるふうで今日今から山口の方へ行くと、俺りぁもう本当に神様のおかげというものはこんなもんかと思うて、有難いと思うたと云うて奥さんに話された。というのはその探しに行ってから丁度お昼時になったから、お昼の食堂に入った。
 そしてカツ丼を頼んだ。所がどういう間違いか親子丼を持って来た。もうそん時に親先生がいつも話されるこのいろんな神様の働きというものをね、もう取り替えもせず、いやこれでええですというて、親子丼を頂きながらね、親子の者がままになるというおかげを頂くぞというて、山口の方へ今発っていったというお届けであった。神様の働き、私や合楽に御縁を頂く方達の場合なんかは、そういう本当に大難を小難にとかよしそういう難儀な問題があっても、そこには神様がこう守り守って下さるそういう働きをです。いうならば信心のさほどない者でも感じれるような働きが、必ずおきてくるという事です。今までの心配が何んか軽うなったような気がする。おかげ頂くぞと、カツ丼がいうならば親子丼に変わった。親子のものがままになるというふうに頂いた。
 いや信心も大して出来るとも思うとらん、実際出来ませんが、信心も出けんばってん、ようそういうふうに分からせて頂いたねと云うて、昨日は奥さんが参って来たから話した事でしたけれどもね。そういう何んとも云いようのないような味わいを、日々感じさせてもらい、いうならばリズムにのった信心生活が出けるようになり、そういう信心の喜びをどうぞ合楽示現活動に参画さして下さいというような、信心の成長をお育てを頂かせてもらうという事。いよいよ光輪の輪を広げていこうとこう、それも世界中に広げていこうという合楽の願いである。
 昨日は少の四月一日少大会が又ございます。それで大会のテーマを先生がここに頂きにまいりました。そしたら『光りを育てる』という事を頂きました。
 今信心をさせて頂くとそこに信心の喜び、心に光を頂く事が出ける。真っ暗い心が神様の働きを受けたら、心が軽うなった。心が明るうなった。おかげ頂くぞという確信が生まれてきた。そういうならば信というかね、信じるの信の力を育てていくという事が、光を育てていくという事じぁないでせうか。お互いの信心がただ合楽に縁を頂いて、おかげを頂いとりますというのじぁなくて、自分のその信が育っていくという事を楽しみに、しかも自分の周辺にその光が広がっていく事を、有難しとしての信心内容が出けてくる時に、神様に喜んで頂く信心とは、そういう信心ぢゃないでしょうか。いよいよ自分の心ん中に光のいうならば広がり、本当の信は光なりと云われる信が心に生まれてくる。そういう時に神様が安心して下さる。神様に喜んで頂けれる、安心して頂けれる信心を目指して、そして世の多くのいうならば難儀な人達、信心のない人達にそれを伝えていく一つの責任を、感じさせる位な私は信心を頂きたい。
 今日の大会はまあそういうような事に、なるのぢゃないかと思います。合楽の信奉者として御縁を頂いておる。ただ縁を頂いておるというだけではなくて、いよいよ合楽世界が世界津々浦々に広がつていく程しの願いを立てた、その思いを育ておうていくというようなおかげを頂きたい。
 今日の大会に御縁を、又皆さんも頂かれる事でございましょうが、今日は何時からでしたかね、ならこのままおかげを頂かれる方もありましょうが、そういう願いをもって大会参加でなからなきぁ、いわゆる参画でなからなきゃ、大会に参加するぢゃなく参画、どうぞかたらして下さいという願いをもっての大会でなからなきぁならんと思うですね。                                      どうぞ